もりゃきに後は無い

「UNIXという考え方」読了

オーム社「UNIXという考え方 その設計思想と哲学」Mike Gancarz(著) 芳尾 桂(訳)

最近「一文一文かみしめるように読む」傾向が強くなりすぎてたので、理解度は70%程度でもサクサク読書を進めてみようと気変わりし、本日読了。

読み終わって感じたのは、とにかく 時代の流れ

あちこちでMS-DOSの名前が出てくるわ、CPUの速度はどんどん上がる思想で書かれてるわ、固有名詞から古さが隠せない。UNIX系OSは、今やサーバー用OSの代名詞になってるし。

それもそのはず初出が1995年、日本語版が2001年という。それでもなお本書の「UNIX哲学」(あくまで著者の主張にすぎない、という意味を込めて括弧付き)なるものが現役で通用しうる、どころか、むしろ最先端クラスにあるかのような現実に驚きを禁じ得ない。

もちろん、書いてあることそのまま、という意味ではなくって。特に「3.できるだけ早く試作する」などは思想の域を出ないような。しかしこの試作の重要性を土台に、多くの(幾つかは廃れてしまった)開発手法が生み出されたのは間違いない。

この「UNIX哲学」を土台に据えると、Javaの設計思想に通じるものを感じるし、またWeb標準化でのREST圧倒的勝利(技術評論社「Webを支える技術 HTTP、URI、HTMLそしてREST」山本陽平)を思い出す。

ただし本書の内容は「情報処理に限る」という面が否定できない。本書ではAtari2600、8ビットゲーム機のソフトを持ち出しているが、その効率一本槍の作りから移植性の無さを嘆くのは我田引水、現実を無視している面がある、と言わざるを得ない。

当時の事情は詳しく知らないため アタリショック への深い言及は避けるが、リアルタイムで接した水準で言うならば、正攻法でドラゴンクエスト1~4、ファイナルファンタジー1~3など作れまい。PCゲームでも移植性捨ててカリカリにチューニングしてるわけだし。

内容とはあまり関係ないが、第9章2節が最近のラノベタイトル風で吹いた。しかし時系列ではこちらの方が先なんだよな。先見の明があるというか、元ネタじゃないよなとか、変なことを考えてしまった。

全体を通して、Windowsユーザーとして、あるいは開発に片足突っ込んでた者として戒められる部分が多くあった。遅い重いと言う前に、使い方から作り方から工夫しろと叱られたような気がする。

使い方、作り方でどうしようもなかったから開発者離れなんて起こしたのだろうけど、だからこそ今後のWindows路線を知る上で「UNIX哲学」を抑えておくのは悪くないだろう。

記事を書こうとして

ふと挙動不審を感じ、WordPressからログオフしたら、CSSが一切効いてないような表示になっててビビった。悪さをしてたプラグインがあったようで、殺したらおとなしくなりました(物騒だな)